|
|
だけどド・ボアルデュー、結局彼の信頼裏切るの。
警備兵の注意をひきつけて、その隙にマレシャルとローゼンタールを脱走させる計画立てるんですね。
そのための準備に真新しい白手袋を出してきた。
水に浸して手になじませて、淡々と手袋の水気を絞るド・ボアルデュー。
あっ、やめなさい、あんたやめなさい。ラウフェンシュタインがあんたに何したの。
撃たれて焼かれて落とされて、死ぬまでコルセットが手放せない、もうすでに磔にされてる男じゃないですか。
その彼をわざわざ引っ張り出さなくたっていいでしょう。
いずれ戦争終わるんだから、脱走したい奴はほっといて、おとなしくしてればいいじゃないですか。
フォン・ラウフェンシュタインがド・ボアルデューに何をしたか。
つねに観客席にいる人生に、初めて疑問を持たせたの。
このままでいいのかいけないのか。
従兄弟は片腕を祖国に捧げ、彼は身体を丸ごと犠牲にした。
このまま何もしないで過ごすのか。いや、そもそもなぜこんなくだらないことで悩まなくてはいけないのか。
あの男に邂逅したからだ。会って話をしたからだ。
いっぺんそう思ったら、何から何まで憎くなる。
ベルリンで従兄弟と自分の知らない時間を持ってたことも、Edmondと従兄弟の名前を呼んだことも、高嶺の名馬に乗ってたことも、女を共有したことも。
貴族社会の終焉に火を噴くような怒りを見せたあと、如雨露を握って細やかに花に水遣りしたことも。
彼と話をしていると、本心がぽろりぽろりと出てきてしまう。ぐらぐら胸元ゆすぶられて、自分が自分でなくなっていく。
もうこれ以上、一刻の猶予もならんと思うから、笛一本持って出ていくド・ボアルデュー。
ドイツ兵を右往左往させて逃げながら、来てくれここに来て撃ってくれと相手を呼んでるんですね。
警備兵が撃とうと掲げた銃身を白手袋が抑えるの。
拍子木が聞こえてきそうなフォン・ラウフェンシュタイン花道の出。
聞いてください!“Écoutez!”と叫んですぐ英語。
聞かれて困る内容じゃない。だけどふたりは英語で叫びあう。
このままでは撃たねばならない。それだけは避けたいなんとしてでも。
“I beg you, man to man, come back.”
Impossible!と拒否されて、やむなく構えるラウフェンシュタイン。
腕時計見て、もう大丈夫だと倒れるド・ボアルデュー。
駆けつけてきた部下が報告する。マレシャルとローゼンタールが逃げました。
「そうだったのか」
ここで監督ルノワール、『神』に指示を出したのね。
「愛人に懇願するように叫んでください」
う~ん。気持ちはわかるけれども無理だなあ。
何べん観ても、男が男として男に誠心誠意頼んでるとしか思えない。
たしかに女装趣味あり男とも寝るカザノヴァ出してきてるから、男色に走ってもおかしくはない。ルノワールはそっちで押していきたいの。
だけどシュトロハイム自身はノンケなのね。それが画面にまるまる出てる。
だからこそ、わかる人にはよくわかる。
死ぬまで戦士をやめない男、その男にどうしようもなく惹かれていくド・ボアルデュー、そこにはルノワール監督自身の感情も入っている。
終油の秘跡の十字架のクローズアップで始まる場面。
神父の前に跪き、マントを着せ掛け送り出してから、吐息を押し殺しているラウフェンシュタイン。
ド・ボアルデューの白手袋は脱がされて、脈をとっていた看護婦が席を譲る。
「お許しください」
「それを言うのはこちらです」
二人の会話は感情と暗喩が幾重にも折りたたまれたフランス語。
痛みますか、と訊かれてね、腹に入ったたった一発の銃弾がこんなに苦痛を引き起こすとは、と答えるド・ボアルデュー。続けてこう言うんですね。
「ふたりのうち同情されるべきは私ではない。私はすぐ死にますが、あなたは生き続ける」
字面的にはその通りなんですよ。
でもね、ここで使われているplaindreはもともと語源がギリシア語、悲しみのあまり自分の頭や胸を叩いて慟哭する仕草をあらわす言葉です。
自分は今、一発の弾に腹を叩かれているけれど、それはすぐ終わるんだ。だけどあなたは一生胸を叩いて苦しむんだと言っている。
そしてさらに追い打ちをかけるんですね。肚の底では戦死なんか犬死だと思ってるのに、
「平民にとって戦死は恐るべきものだが、我々にとってはよき最後です」
ド・ボアルデューの口元がかすかに動く。まだ何か言いたいの。
そこへ看護婦が割って入る。「長話はいけません」
ラウフェンシュタイン離れて行って、会話はそれで終わりになる。
神の手が最後の言葉を遮った。恩寵なのか、罰なのか。
ド・ボアルデュー、言葉の鞭で執拗にラウフェンシュタイン叩くでしょう。
相手が死ぬまで自分を忘れぬように、自分以外の誰も愛さぬように。
貴族だって誰だって、心から愛した人には訊いてみたいし答えてほしい。
あの『結婚行進曲』の恋人たちとおなじように。
「いつも想っていてくださる?」
「いつも、いつも、いつまでも」
その言葉をついに言わず、ついに聞けずに死んでいく。
賭けに勝ち、貴族の名誉は保たれても、その無念は消しようもない。
だから絶対に道連れにしてやるという、瞋恚の炎がぶすぶすと音をたてんばかりに燃えている。
対する相手はそういう底意の外にいる。後悔と悲嘆でいっぱいで。
キャビネットを開けてコニャックを注ぐラウフェンシュタイン。
素面ではとても耐えられないからなんですね。
その背中に声がかかる。
彼はすぐには振り向かない。
一瞬動きが止まり、それから酒をあおって向き直る。
主は言われた。これは私のからだ、これは私の血。
コニャックは「命の水」と呼ばれた酒。
酒保のコニャックをぐっとあおって始まった二人の物語が閉じられる。
ド・ボアルデューの目を瞑らせた、白いこぶしが画面を通り過ぎていく。
外では雪が降っている。
見事に咲いてるゼラニウム。左手に茎、右手に鋏が握られる。
花が消え、如雨露にラウフェンシュタインの影がかすかに揺れて消えていく。
このあとマレシャルとローゼンタールの逃避行、女性との恋が続くけど、ジャン・ギャバンお目当ての方は御覧なさい、という感じ。
ここまで純度の高い絵観せられたら、あとに何持ってきても駄目だなあ。
シュトロハイム、もともとは自分を綺麗に撮ったりしない人。必ず毒を混ぜる人。
『愚なる妻』では自分の死体を犬みたく、下水に投げ込ませるラストを撮りました。
『結婚行進曲』の御曹司も、恋に苦しむ最中に「この結婚でたくさんお金が入るのよ」と言われたら、上唇をぺろっと舐めて「どれくらい?」と尋ねる場面があったのね。
この『大いなる幻影』でも、その性癖は残ってる。
マレシャルの脱走記録を読み上げながら、女に化けて云々のところにきたら、唇をちょっとなめて面白い面白い、と言うところ。
フィフィの話を持ち出して、ド・ボアルデューが反応したら、かすかに口元ゆるめてね、ああ引っかかった引っかかった、フランス野郎はそうなんだよなと相手の顔を眺めるところ。
女を充分満足させてきた、十二分に楽しんだ、という余裕が裏にある。
ラウフェンシュタイン背骨折ってもこういう男。ド・ボアルデューに恨まれたって仕方ない。
その彼が、最後の最後、雑味を全部落としてね、きちっときれいに決めちゃった。
涙も見せず、大仰な身振りも一切なしで。
その目もと、その口もとを、しみひとつだってつけるもんかと撮ってるルノワール。
映画の完成版ができたとき、ジャン・ギャバン、ショックで荒れたのね。
そもそもジャン・ギャバンが出なかったら、この映画はできてない。
なんだ兵隊だけしか出ないのかって誰も興味を示さなかったこの映画、友人のデュヴィヴィエ監督に譲ろうとして断られ、お蔵入りしかけたところを救ったのがジャン・ギャバン。
スター街道驀進中のギャバンが出ると言ったので、ルノアールも自分で撮る気になったんですね。
だから最初はこの話、ド・ボアルデュー大尉とマレシャル中尉が軸だった。階級超えて、フランスのために協力し合う男たち。
ところがデッドラインぎりぎりにシュトロハイムがあらわれて、全部さらっていっちゃった。
撮影中にもシュトロハイムとルノワール、始終ごにょごにょやっている。
ここはこれこれだからこうだろうってがんがん攻めるシュトロハイム、なんとなく哀願口調のルノワール。
そしてできたの観てみたら、ギャバンは一応ヒーローだけど、シュトロハイムと比べたら軽重は一目瞭然ですもんね。
監督なんだってあんなドイツ野郎に肩入れするんだ、あんな奴のどこがいいんだ○○の○○野郎、ってジャン・ギャバン、撮影中から溜めてた嫉妬が爆発したの。
共同で脚本書いたスパークも、あまりの改変ぶりに激怒して、プレミエ欠席したくらい。
|
|